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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2698号 判決

控訴人(申請人) 田中秀幸

被控訴人(被申請人) 株式会社日立製作所

〔原審〕 東京地方八王子支部昭和四二年(ヨ)第七一四号(昭和四四年一〇月二日判決)

主文

原判決を取り消す。

控訴人は被控訴人に対し雇傭契約上の権利を有することを仮に定める。

被控訴人は、控訴人に対し昭和四二年一〇月三〇日以降本案判決確定に至るまで一ケ月金二万九、一一七円の割合による金員を仮に支払え。

訴訟費用は、第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、こゝにこれを引用する。

疎明〈省略〉

理由

一、控訴人が昭和三五年四月一日被控訴会社に雇傭され、以来被控訴会社武蔵工場に勤務していたところ、昭和四二年一〇月三〇日、被控訴会社が控訴人に対して、これまでに出勤停止三回、譴責一回の懲戒処分を受けたにもかかわらず、なお、悔悟の見込みがないとの理由で就業規則第五一条第一項第一二号に基づき懲戒解雇の意思表示をしたこと並びに控訴人が、(1)昭和四〇年三月三一日、便所に落書をしたという理由で五日間の出勤停止処分を受けたこと、(2)昭和四二年一月一〇日、就業時間中に同僚に政治活動について話をし、かつ資金カンパを強要した等の理由で譴責処分を受けたこと、(3)同年七月二七日、無断で職場を離れ、私用外出をし、右外出に際し、届に上長の承認印を盗用したとの理由で七日間の出勤停止処分を受けたこと、(4)同年一〇月四日、超勤命令を拒否したとの理由で一四日間の出勤停止処分を受けたこと、(5)右出勤停止期間終了後、始末書の提出を拒否し、また、再三退場を命ぜられ、休業を命ぜられたことは、当事者間に争いがないが、控訴人は、これら懲戒処分は、いずれも就業規則所定の懲戒事由に該当しない違法の処分であるから、これらの前歴及び始末書の問題をもつて就業規則第五一条第一項第一二号に該当しないと主張するので、まず、本件懲戒解雇につき懲戒事由該当の有無について判断する。

(一)  昭和四〇年三月三一日に行つた五日間の出勤停止処分について

その形式及び内容から真正に成立したものと認められる疎乙第一五号証及び同第一八号証、同第一八号証によりその文字の部分につき控訴人が作成したものと認められる同第五号証によれば、昭和三九年一二月頃から被控訴会社の武蔵工場内の便所の個室内部に落書が発生するようになり、工場側ではその都度ペンキで塗り消し、工場美化に関する通達を出し、あるいは職制を通じて従業員に注意をうながしていたこと、控訴人は、昭和四〇年三月一七日同人の所属する特性管理係の職員らが主に使用する同工場一期建屋三階男子便所個室においてペンキ不足のため壁に書かれた落書を隠すため画鋲で貼つてあつたわら半紙に政府自民党が戦争及び軍備の計画を進めている旨及び組合が臨時員の首切りを黙認している旨を一〇行余にわたつて落書きしたことが疎明される。もつとも疎甲第四〇号証及び原審における控訴人の供述(第一回)中の、同日、同便所において落書をしたが、それは「落書をしたい方はこれに書いて下さい」と書いてあつたから書いたのであつて、書いたのは疎乙第五号証ではない旨の供述並びに記載は、前掲各証と対比して容易に採用することはできない。

(二)  昭和四二年一月一〇日に行つた譴責処分について

控訴人が昭和四一年一二月八日午後四時三〇分頃就業時間中低周波製作課特性管理係の同僚木村和彦が作業しているときにその隣の席で自民党政権を攻撃したり、衆議院解散の節は共産党に投票するよう依頼したり、あるいは政治集会への参加を勧誘したことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない疎乙第一二号証、原審証人湊理の証言により成立が認められる同第一六号証、原審証人西村洋(第一回)、原審及び当審証人湊理の各証言によれば、その際控訴人は、木村に対し、特定政党への資金カンパも依頼し約二〇分間にわたり同人の作業を妨げたことが一応認められる。

(三)  同年七月二七日に行つた七日間の出勤停止処分について

控訴人が昭和四二年二月二一日午後五時から約二時半にわたつて無断で職場を離れ、私用外出をしたこと、その際外出届に受くべき上長の承認印を盗用したことは当事者間に争いがない。前掲疎乙第一六号証、成立に争いのない同第六、七号証、原審証人石橋和の証言により成立が認められる同第一四号証、及び同証言、原審証人西村洋(第一、二回)の証言及び当審における控訴人の供述によれば、当日午後四時から労働組合の定期大会が開催され、控訴人の所属する特性管理係の石橋主任は、評議員として同大会に出席したが、職場を離れるに当つて、当時トランジスター生産において不良品が続出していたので係員全員に対して残業して不良対策を講ずるよう命じておいたこと、武蔵工場では就業時間中の私用外出については、私用外出届に所定事項を記入し、所属上長の承認印を受け、届出ることになつていたこと、控訴人は組合大会を傍聴しようとしたが、所属上長がいずれも不在なので、同僚に断わつて前記の如く私用外出届の手続をとり、会場へ赴き傍聴人として活発な発言をしたこと、職場に戻つてから午後一一時まで残業をしたことが疎明される。控訴人は、右私用外出届の所属上長の承認印は全く形式的なものであつたと主張するが、前記疎明によれば、残業時間中でも仕事の合間を見計つて寮へ食事を摂りに行く場合等には例外的に許可なく私用外出を認めていたが、上長の承認印を部下が無断で押印することは許されていなかつたことが一応認められる。右に反する原審証人松木守、当審証人為我井哲夫、同矢島陸夫の各証言、当審における控訴人本人尋問の結果は措信できない。

(四)  同年一〇月四日に行つた一四日間の出勤停止処分

控訴人が特性管理係に所属し、ゲルマニユウムトランジスター2SB370の特性管理の業務を担当していたこと、トランジスターの製造は、焼付から完成まで約二〇日間を必要とするので、毎月の生産につき一ケ月の選別後の歩留を予想し、これを基準として予算を設け、製造に必要な日数を見込んで着工し、右推定歩留を維持向上するよう各工程を管理しながら生産するのであるから、選別後推定歩留の算出を誤まると生産に支障を生じ、製品原価の増大、出荷遅延を招来し、会社は大きな損害を蒙ることになること、控訴人は、昭和四二年九月一日石橋主任から九月生産月の歩留推定表の作成提出を命ぜられ、同月四日七七%と算出したが、九月六日頃の実績歩留が七三%であつたこと、石橋主任は、同日午後四時半頃控訴人に対し推定表の作成について控訴人の怠慢を責め、残業をしてでも至急推定歩留を検討するよう命じたところ、控訴人は労働者に残業する義務はないといつてこれを拒絶し、石橋主任と口論の挙句、五時五〇分頃今日は、友人と約束があるからこれ以上仕事をしないと云い捨てて帰つてしまつたこと、控訴人が翌七日歩留算出を行つたこと、控訴人が同月一四日以降数回西村課長に対し反省書と題する書面を提出し、同月二七日西村課長が反省書を受領したことは当事者間に争いがない。前掲疎乙第一四号証及び同第一六号証、原審における控訴人本人尋問(第二回)により成立が認められる疎甲第三号証の一ないし五、成立に争いのない疎乙第四号証、同第九、一〇号証、同第二〇号証、その形式及び内容から真正に成立したものと認められる同第一九号証、原審証人西村洋(第一、二回)、同石橋和、当審証人湊理の各証言によれば、

(1)、控訴人は、同年九月一日石橋主任から九月生産の選別後歩留推定表を四日までに提出するよう指示されたが、右推定歩留の算出方法は製造工程中の焼付、封止、選別の三段階の歩留即ち、焼付先行試作、封止先行試作及び選別後の実績歩留の数値に基づいて算出することになつているところ、控訴人はこれを怠り、焼付先行試作の結果のみに基づいて七七%(予算歩留と一致していた)という推定歩留を算出し、右推定表を提出した。同月六日の選別後実績歩留が七三%であり、控訴人の前記算出結果と余りにも差が大きいので、同日午後四時半頃石橋主任は、控訴人に対して推定表の数値の算出方法について問い質したところ、前記の手を抜いた事実を認めた。不正確な推定歩留を基に生産を続け、対策を講じないと生産目標を達成できない虞があるので、石橋主任は、控訴人に対しその怠慢を責めるとともに残業をしてでも正規の方法で計算をやりなおすことを命じた。控訴人は、「残業はやらない。」「残業は労働者の権利であり、やるかやらないかは労働者が自分できめる。」と反撥し、石橋主任の説得にもかかわらず、一時間近く口論を続け、その間には「今日は、友達との約束があるので、これ以上仕事はできない」と云つていたが、最後には「今後は一切残業をしない」といつて、結局残業を拒否して五時五〇分頃帰えつてしまつた。

(2)、控訴人は、翌七日同僚の小川の援助を受けて午後九時まで残業して所定の方法により推定歩留の算出を行い、七四%と算出して石橋主任に報告した。

(3)、同月一一日事情聴取にあたつた所属上長である西村課長に対しても「残業は自分が必要だと思つたときに必要に応じてやる」「今後この仕事はできない」などと云い、残業あるいは業務のあり方について口論をするような態度をとつたので、当分仕事をせずに反省をするよう命じたところ、控訴人はその後数回にわたり反省書(疎甲第三号証の一ないし五)を提出しようとしたがいずれも反省の趣旨が認められないので、受理されなかつた。同月二九日に至り提出した反省書(疎乙第九号証)は、文面からは一応謝罪の意が読みとれたので、受理されたが、西村課長の質問に対しては依然として残業に対する従来の考え方を変えず、残業命令に従う意思を示さず、湊勤労課長に対しても態度を改めなかつたので、被控訴会社は、労働組合の意向を質した上、一〇月四日控訴人に対し出勤停止一四日の処分を通知した。

以上の事実を一応認めることができる。原審(第二回)及び当審における控訴人の供述中右認定に反する部分、特に控訴人は、焼付先行試作の結果のみに基いて推定歩留を算出したのではなく、他のデーターが間に合わなかつたので、古いデーターを基礎に算出したのであつて、怠慢の事実はない旨及び九月六日石橋主任が控訴人に命じたのは選別後推定歩留の計算を正規の方法に従つてやり直すことではなくして、焼付及び封止の各工程の製品を抜き取つて、実績歩留が生産目標より低下した原因をつきとめることであつた旨の供述は、前記各疎明に対比して措信できず、殊に後者については前記認定の翌七日に控訴人が同僚の小川の援助を得て正規の方法に従つて選別後推定歩留を算出している事実及び疎乙第一九号証と対比して容易に措信することはできない。

(五)  懲戒解雇について

控訴人が一〇月一九日湊課長に呼ばれ、始末書の提出を求められたこと、その際就業規則違反の事実はないと主張して退場を命ぜられたこと、翌二〇日始末書を提出したが、同日も退場を命ぜられたこと、同月二三日に休業を命ぜられ、又退場を命ぜられたことは、当事者間に争いがない。

前掲疎乙第一六号証、原審における控訴人本人尋問(第二回)の結果により成立が認められる疎甲第四号証の一、二、原審及び当審における証人湊理、当審証人阿部亨の各証言、原審における控訴人本人尋問の結果によれば、

(1)、被控訴会社は、控訴人に前記出勤停止の処分を告知する際に出勤停止期間中従来の就業態度について反省し、停止期間満了後出勤するときには始末書を提出するよう申し渡したので、一〇月一九日出勤してくると阿部製造部長、西村課長、湊課長らが、控訴人を呼んで始末書の提出を求めたが、控訴人は、「西村課長に出した反省書以上は書けない。」「就業規則に違反した覚えはない。今度の処分は不当であつて、始末書は出せない。」といつて応ずる態度を示さず、前記出勤停止処分を非難するので、西村課長はこのままでは職場に入れるわけにはいかないと考え、就業規則に基き退場命令を出し、反省を求めることにした。控訴人は退場命令にも応じなかつたので、警備員に付添われ退場した。

(2)、翌二〇日控訴人は、就業規則に違反したとは思わないし、反省もしていないが就労したいので書いてきたといつて、始末書を提出した。右始末書には、九月六日の事実を書き、態度を改め今後残業に協力し、誠意をもつて仕事をするよう努力する旨の記載はあつたが、就業規則違反の事実を認め、爾後上長の命に従つて仕事をする旨の基本的な反省の態度が示されていないので被控訴会社に受理されず再度反省を求められたところ、控訴人はまた、出勤停止処分を非難しはじめたので退場を命ぜられた。

(3)、同月二三日も控訴人は、従来の態度を改めないばかりか、挑発的な発言をするに至つたので、阿部部長は説得を断念して、控訴人に対し、就業規則に基づき懲戒処分の決定まで休業を命じ、退場させた。

被控訴会社は、労働組合の意向を質した上、同月三〇日控訴人に対してしばしば懲戒訓戒を受けたにもかかわらずなお悔悟の見込みがないもの(就業規則第五一条第一二号)と認め、懲戒解雇の意思表示をした。

以上の各事実を一応認めることができる。

二、右認定事実によれば、譴責及び三回の出勤停止については、前記各非違事実は、就業規則第五〇条第一項四号、五号、同条同項第一五号、同条同項第四号、第六号、同条同項第四号、第五一条第一項第六号にそれぞれ該当し、いずれも妥当な処分であつて、被控訴会社に懲戒権の濫用があつたものということはできない。しこうして、前記残業拒否は、控訴人が上長の指示に故なく従わなかつたこともさることながら、残業命令は控訴人の業務上の怠慢に基づいているのであるから、その情状はさらに重いといわねばならない。もつとも控訴人は労働者は、時間外労働を自由に拒みうるとの考えを持ち、かかる考え方のもとに石橋主任の残業命令を拒否し、又その後被控訴会社側の説得にも拘らず、態度を変えなかつたことが窺われる。労働協約もしくは就業規則において時間外労働義務に関する規定がおかれ、いわゆる三六協定が結ばれても個々の労働者に具体的に時間外労働義務が生ずることはないと論ずる学説もないではないが、労働協約もしくは就業規則において時間外労働義務が規定されている以上個々の労働者を拘束し、三六協定が結ばれれば時間外労働義務は具体化するものと考えるべきである。そして前掲疎乙第四号証、同第一一号証の一、二、原審証人湊理の証言によれば、被控訴会社の就業規則及び労働組合との間の労働協約には、時間外労働義務に関する規定がおかれ、また、昭和四二年九月当時一ケ月四〇時間以内の時間外労働を内容とする三六協定が締結され、被控訴会社の従業員は、右に従つて残業に従事していたことが一応認められるから、控訴人も正当の事由なくして残業命令を拒否しえないものといわねばならない。

しかしながら、便所の落書、就業時間中の同僚の業務妨害、同じく無断私用外出の諸行為は、職場の規律保持の観点からして些細な行為とはいえないにしても、控訴人は資金カンパ強要の点を除き、いずれもその直後自己の非を認めており、また無断私用外出についても、業務の合間をみて組合大会を傍聴し、組合員として認められた権利を行使しようとしたところ、承認を受くべき所属上長がいずれも不在のため、やむなく同僚に断わつて手続をとつて会場に赴き、その後職場に帰えつた後は午後一一時まで残業をしているのであつて、控訴人の右行為については情状酌量すべき点がないでもない。いずれにしても控訴人のこれらの行為を以て就業規則第五一条第一項第一二号に該当すると解するのは相当ではない。

もつとも控訴人は九月一九日出勤停止期間を終えた後も時間外労働に対する従来からの考えは変えず、残業命令拒否も就業規則に違反したとは考えないが、残業に協力し誠意をもつて仕事をするよう努力する態度を示したが、依然として反抗的言動を改めなかつたことは、前記認定のとおりである。控訴人の時間外労働に対する考え方は、その主張あるいはその実現の方法においてあやまつているとはいえ、考え方自体は、不合理なものとはいいきれないものであり、それを一回の出勤停止期間中に考えを変えないからといつて、残業には協力するとの態度を示しているにもかかわらず、控訴人を責めるのは酷というべきである。そして控訴人に対するそれ以前の三回の懲戒処分は時間外労働とは直接関係はなく、又控訴人自らその非を認めていることは前記のとおりである。しかも控訴人も時間外労働に対する自分の考えはあくまで変えないにしても、残業には協力し、誠意をもつて仕事をする態度を示しているのであるから、仮令控訴人の始末書提出についての行為が形式的には就業規則第五一条第一項第一二号にいうしばしば懲戒、訓戒を受けたにもかかわらずなお悔悟の見込みのないときに該当するとしても、前記認定の事実関係の本件においてはいまだもつて職場の秩序を維持し生産性の向上をはかりもつて企業を運営維持するうえからして控訴人を職場から終局的に排除するを相当とする程度に情状が重いものと認めることはできないから控訴人を同号に基いて懲戒解雇することは、右規則の解釈適用を誤まつたものとして許されないものといわねばならない。

三、してみれば、控訴人のその余の主張につき判断するまでもなく、昭和四二年一〇月三〇日付でなされた本件懲戒解雇は無効であり、控訴人は被控訴会社に対し雇傭契約上の権利を有することは明らかである。控訴人が昭和四二年七月及び一〇月に出勤停止処分を受け、賃金を減額されていることは当事者間に争いがないから、控訴人の解雇当時の賃金は右出勤停止処分の行われた給与期間を除く、直近の三ケ月間である同年四月二一日から同年七月二〇日までの賃金を基準として算定するを相当とするところ、六月分(五月二一日から六月二〇日まで)及び七月分(六月二一日から七月二〇日まで)の賃金がそれぞれ金二万三、六二二円、金三万一、四九七円であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない疎甲第一八号証により五月分(四月二一日から五月二〇日まで)の賃金が金三万二、二三三円であることが疎明されるから、その平均一ケ月分の賃金は金二万九、一一七円となる。従つて、控訴人は被控訴会社から昭和四二年一〇月三〇日以降、毎月一ケ月金二万九、一一七円の割合による金員の支払いを受くべき権利を有することが疎明されたことになる。

保全の必要性について判断するに、原審における控訴人本人尋問(第一回)の結果及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、昭和三五年四月高等学校卒業と同時に被控訴会社に雇傭され、以来賃金労働者として働いてきたものであつて、被控訴会社から得る賃金が唯一の収入であつたことが疎明されるから、控訴人が被控訴会社に対して有する前記権利を本案判決確定に至るまで保全する必要がある。

四、控訴人の本件申請はいずれも理由があり、正当としてこれを認容すべきである。

よつて、右と判断を異にする原判決は不当であり、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 杉山孝 小林定人)

参照

原審判決の主文、事実および理由

主文

本件仮処分申請はこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

事実

申請人訴訟代理人らは、

一 申請人は被申請人会社との間に雇用契約上の地位を有することを仮に定める。

二 被申請人会社は、申請人に対し昭和四二年一〇月三〇日以降本案判決確定に至るまで一ケ月金二万九、一一七円の割合による金員を仮に支払え。

三 申請費用は被申請人会社の負担とする。

との裁判を求め、申請の理由として、

一 1 申請人は、昭和三五年四月一日被申請人会社に雇用され、それ以来被申請人会社武蔵工場に勤務していた。

2 (イ) 被申請人会社は、昭和四二年四月二一日から同年七月二〇日までの三ケ月間に申請人に対し賃金として、五月分(四月二一日から五月二〇日まで)金三万二、二三三円、六月分(五月二一日から六月二〇日まで)金二万三、六二二円、七月分(六月二一日から七月二〇日まで)金三万一、四九七円の金員を支払い、その平均一ケ月分の賃金は金二万九、一一七円となる。従つて解雇当時の申請人の賃金は右平均賃金に相当する。

(ロ) もつとも申請人は、懲戒解雇される直前、昭和四二年七月二八日から一週間、同年一〇月五日から二週間の二度にわたり違法な出勤停止処分を受け、その給与期間の賃金を不当に減額されているので、申請人の解雇当時における賃金は右出勤停止処分の行われた給与期間(昭和四二年七月二一日から同年一〇月二〇日まで)を除く直近の三ケ月間である前記昭和四二年四月二一日から同年七月二〇日までの賃金を基準として算定すべきである。

二 被申請人会社は、昭和四二年一〇月三〇日申請人に対し懲戒解雇する旨の意思表示をした。

三 1 被申請人会社は、右懲戒解雇の理由として、申請人は、過去に三回就業規則違反の行為があり、その都度懲戒処分を受けていたものであるところ、昭和四二年九月六日上司の命令に反して当日の残業を拒否し、二週間の出勤停止処分を受けたが、その後もなお右所為について反省しないので就業規則五一条一項一二号(しばしば懲戒訓戒を受けたにもかかわらず、なお悔悟の見込がないとき)に該当するものとして懲戒解雇したものであると主張する。

2 しかしながら、

(イ) 被申請人会社は、申請人の右残業拒否について先ず前記の如く出勤停止二週間の懲戒処分をなし、更に昭和四二年九月九日以降申請人に対し全く仕事を与えないで事実上の懲戒処分をも加え更に右残業拒否を理由に申請人を懲戒解雇したものであるから、本件懲戒解雇は残業拒否という一個の事由につき重複してなされた懲戒処分であり、条理に反し無効である。

(ロ) 申請人の勤務していた被申請人会社武蔵工場における労働時間は、休憩時間を除き一日八時間、一週四八時間制であり、被申請人会社は、日立武蔵工場労働組合と、労働者に対し残業を課しうる旨の労働協約を締結し、かつ、就業規則において同旨の規定を設けているが、元来時間外労働は四八時間労働の例外であるから、その両者は同視しうるものではなく、時間外労働に関する労働協約も就業規則も個々の労働者に対しその承諾なしに時間外労働の義務を課することはできず、使用者は、単に、右協約に基づいて個々の労働者に対し合法的に時間外労働の申込みをなしうるにとどまるものであつて、権利として残業を命じうるものではない。従つて、被申請人会社が残業を拒否したことを理由として申請人を懲戒解雇するのは、公の秩序に反する行為であるから本件懲戒解雇は無効である。

四 上記理由のみならず被申請人会社は、申請人が昭和三五年七月一日被申請人会社武蔵工場労働組合に加入して以来左記のごとく職場で被申請人会社の意に反する組合活動をするのを嫌悪して本件懲戒解雇処分に及んだものであるから、本件懲戒解雇は不当労働行為であつて無効である。

1 申請人は、昭和三六年二月に職場委員に選出され、同年八月までその職務を行つたものであるが、同年二月頃申請外田中幹夫が組合執行委員に当選したところ、組合執行部が職場委員会に田中の辞任を提案したので、申請人がこれに反対すると、その翌日矢野第二製作課長が申請人に対し執行部案に賛成することを強要し、申請人はこれを拒否した。すると、被申請人会社は、同年一〇月申請人の賃金の第二加給部分を従来の四、二二〇円から四〇五〇円に不当に減額した。

2 申請人が昭和三九年一一月評議員として一時金満額獲得のため組合中央執行部の交渉団へ送るべく、激励文の署名を休み時間中に集めたところ、被申請人会社は署名に応じた組合員に対し署名活動に応じないよう圧力をかけた。

3 申請人は、昭和四二年七月二七日組合の定期大会があるので、午後七時半から残業しようと考え、外出を申し出たが、課長、主任、直接の上長が不在であつたため、同室の同僚に外出する旨および外出届に上長の職印を押印することを告げて押印し外出した。残業中の外出については、私用外出届を警備員室に届け出ることになつているが、外出許可の上長の押印は全く形式的なものであつた。申請人は、右組合定期大会で被申請人会社において解雇された申請外向坂弘時、遠藤よし子、岡崎義和の解雇闘争支援等緊急提案について意見を述べた。被申請人会社は、申請人の右組合大会における向坂ら三名の解雇闘争支援の発言を嫌悪して、申請人が残業休憩時間中無断で外出したと称し、懲戒処分として同年七月二八日から七日間の出勤停止処分を行つた。

4 申請人は、前記向坂ら三名を守る会に加入し、その中心的活動家となつたが、昭和四二年一〇月五日向坂及び遠藤の地位保全仮処分事件の証人として東京地方裁判所八王子支部に出廷し、職場の実体、被申請人会社の組合活動に対する干渉について証言した。被申請人会社は、向坂ら三名の解雇闘争が職場に広まり組合が申請人らの活動家によつて強化されることを恐れ、かつ、申請人が被申請人会社に不利なことを証言したことを怒つて申請人を解雇したものである。

五 申請人は、被申請人会社から受ける賃金を唯一の収入として生活しているので、本件懲戒解雇によりこの収入を失えば直ちに生活に窮し、回復しがたい損失を蒙むるおそれがある。

と述べ、被申請人会社の主張に対する答弁として、

1 被申請人の主張1記載の主張事実のうち、申請人が便所に落書したという理由で被申請人会社主張のとおりの懲戒処分を受けたことは認め、その余の主張事実は争う。

2 同2記載の主張事実のうち、申請人が被申請人会社主張の頃就業時間中同僚に対し政治的活動について話したこと、そのため被申請人会社主張のとおり懲戒処分を受けたことは認め、その余の主張事実は争う。

3 同3記載の主張事実のうち、申請人が昭和四二年七月二一日午後五時から約二時間三〇分にわたつて私用外出したこと、私用外出届に上長の承認印を押捺したこと、そのために被申請人会社主張のとおりの懲戒処分を受けたことは認め、その余の主張事実は争う。

4 (イ) 同4の(イ)記載の事実は認める。

(ロ) 同4の(ロ)記載の事実は認める。

(ハ) 同4の(ハ)記載の事実は争う。

(ニ) 同4の(ニ)記載の事実のうち、申請人が昭和四二年九月生産の歩留算出にあたつて封止前先行試作の歩留の検討をしなかつたこと、九月生産の推定歩留を七七%と算出したこと、九月六日頃の実績歩留が七三%であることは認め、その余の主張事実は争う。

(ホ) 同4の(ホ)記載の事実は認める。

(ヘ) 同4の(ヘ)記載の事実のうち、申請人が九月七日に歩留算出を行つたことは認め、その余の主張事実は争う。

(ト) 同4の(ト)記載の事実は争う。

(チ) 同4の(チ)記載の事実のうち、申請人が九月一四日以降数回西村課長に対し反省書と題する書面を提出したこと、西村課長が九月二九日申請人の反省書を受領したことは認め、その余の主張事実は争う。

(リ) 同4の(リ)記載の事実は争う。

(ヌ) 同4の(ヌ)記載の事実は認める。

5 (イ) 同5の(イ)記載の事実のうち、申請人が一〇月一九日湊課長に呼ばれ、始末書の提出を求められたこと、その際申請人が就業規則違反の事実はないと主張し退場を命じられたことは認め、その余の主張は争う。

(ロ) 同5の(ロ)記載の事実のうち、申請人が一〇月二〇日始末書を提出したこと、その際申請人が退場を命じられたことは認め、その余の主張事実は争う。

(ハ) 同5の(ハ)記載の事実のうち、申請人が被申請人会社主張の日に休業を命じられ、退場させられたことは認め、その余の主張事実は争う。

(ニ) 同5の(ニ)記載の事実は争う。

(ホ) 同5の(ホ)記載の事実は認める。

と述べた。(立証省略)

被申請人会社訴訟代理人らは、主文第一、第二項同旨の裁判を求め、申請の理由に対する答弁として、

一 1 申請の理由一の1記載の事実は認める。

2 (イ) 同一の2の(イ)記載の事実のうち、申請人の昭和四二年五月分の賃金は金二万七、六〇一円であり、同年六月、七月分の賃金額は申請人主張のとおりであることを認める。

(ロ) 同一の2の(ロ)記載の事実のうち、申請人がその主張どおりの出勤停止処分を受けたことは認め、その余の主張は争う。

二 同二記載の事実は認める。

三 1 同三の1記載の事実は認める。

2 (イ) 同三の2の(イ)記載の主張は争う。

(ロ) 同三の2の(ロ)記載の事実のうち、被申請人会社の労働時間、労働協約、就業規則に関する主張事実は認め、その余の主張は争う。

四 同四の冒頭記載の主張は争う。

1 同四の1記載の事実は争う。

2 同四の2記載の事実は争う。

3 同四の3記載の事実のうち、申請人がその主張どおりの懲戒処分を受けたことは認め、その余の主張事実は争う。

4 同四の4記載の事実のうち、申請人がその主張どおりの日に証人として証言したことは認め、その余の主張事実は争う。

五 同五記載の主張は争う。

と述べ、被申請人会社の主張として、

被申請人会社が申請人を懲戒解雇したのは左記の理由によるものである。

1 申請人は、昭和四〇年三月一七日申請人の所属していた被申請人会社武蔵工場製造部低周波製作課の課員らが使用する便所の個室内に落書をし、また、それ以前に同便所で発見された落書の多くが申請人の筆跡と同一であることから、申請人が書いたものと判断されたので、被申請人会社は、同年三月三一日就業規則五〇条一項一五号(その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があつたとき)、一二号(会社の施設又は構内において許可なく掲示貼紙し又は放送等を行つたとき)に該当するものとして、申請人に対し五日間の出勤停止の懲戒処分を行つた。

2 申請人は、昭和四一年一二月八日午後四時三〇分頃就業時間中であるにもかかわらず、低周波製作課特性管理係の同僚に対し執拗に申請人自身の政治的活動について話し、その支持を求め、資金のカンパを強要し、右同僚の業務を妨げたので、被申請人会社は、昭和四二年一月一〇日就業規則五〇条一項四号(実働時間中許可なく職場を離れ又は甚だしく自己の職責を怠る等業務怠慢の行為があつたとき)、五号(正当な理由なく業務を阻害する様な行為があつたとき)に該当するものとして、申請人に対し譴責の懲戒処分を行つた。

3 申請人は、昭和四二年七月二一日時間外勤務を命ぜられていたにもかかわらず、午後五時から約二時間三〇分にわたつて無断で職場を離れ私用外出したうえ、右外出に際し、私用外出届に受けるべき上長の承認印を盗印したので、彼申請人会社は、同年七月二七日就業規則五〇条一項四号(前出)、六号(勤休、外出その他に関して手続や届出を詐り又は怠つたとき)に該当するものとして申請人に対し七日間の出勤停止の懲戒処分を行つた。

4 (イ) 申請人は、被申請人会社武蔵工場において低周波製作課特性管理係に所属し、ゲルマニウムトランジスター2SB370の特性管理すなわち歩留(着工数に対する完成、選別された良品の数の割合のこと)の向上や不良対策等の業務を担当していた。

(ロ) トランジスターの製造は、焼付から完成に至るまで約二〇日という時日を必要とするので、毎月の生産につき一ケ月間の選別後の歩留を予想し、これを基準として予算を設け、製造に必要な日数を見込んで着工し、右推定歩留を維持向上するよう各工程を管理しながら生産するのであるから、選別後推定歩留の算出を誤まると生産に支障を生じ、製品原価の増大、出荷遅延を招来し、会社は大きな損害を蒙むることになる。

(ハ) ゲルマニウムトランジスター2SB370の選別後推定歩留の算出は、右トランジスター製造の各段階に応じ、焼付先行試作の歩留、封止前先行試作の歩留、選別後実績歩留の三段階の数値を検討し、これに基づかねばならない。

(ニ) 申請人は、右算出方法を熟知していたにもかかわらず、昭和四二年九月一日石橋主任から右トランジスターの九月分の生産の歩留推定表を作成提出するよう命じられた際、怠慢にも封止前先行試作の歩留、選別後実績歩留の検討を怠り、単に焼付先行試作の歩留のみに基づいて右選別後推定歩留を七七%と算出し、九月四日終業時刻頃その旨の歩留推定表を石橋主任に提出した。ところが、石橋主任は、九月六日午後四時頃右トランジスターの選別後実績歩留が同年八月末頃から次第に低下して、同日同時刻頃には七三%になつているのを発見した。これは申請人が算出した推定歩留を大きく下廻つているため、右推定歩留に基づいて生産していたのでは予定の生産量を達成できないおそれが生じた。

(ホ) そこで、石橋主任は、同日午後四時三〇分頃申請人に対しその怠慢を責め、残業してでも至急推定歩留を検討するよう命じたところ、申請人は、労働者に残業する義務はないと言つてこれを拒絶し、石橋主任と口論のあげく、同日午後五時五〇分頃「きようは友人と約束があるから、きようはこれ以上仕事をしない。」と言い捨てて帰つてしまつた。

(ヘ) 申請人は、九月七日になつても命じられた推定歩留の再検討をしなかつたが、同僚の小川の指導援助をうけてやつと推定歩留を七四%と算出したので、その歩留に対する対策を講ずることができた。

(ト) 申請人は、その後も右の件について何ら反省の色もなく、石橋主任や西村低周波製作課長に謝罪しようともせず、その勤務態度も積極的でなかつたので、西村課長は、九月一一日申請人を呼び、仕事を積極的に、他人と協調してやるよう一時間にわたつて説得したが、申請人はこれに反抗的態度を示したので、西村課長は申請人に対し「当分の間仕事はしないでもよいから自分の席で反省してみなさい。」と言渡した。

(チ) その後、申請人が仕事を要求してきたので、西村課長が申請人に対し右の件について反省したことを示す旨の始末書を提出するよう求めたところ、申請人は、九月一四日以降数回西村課長に反省書と題する書面を提出したが、その内容はいずれも、単に「九月六日石橋主任と残業の問題で口論し、その際感情的になつて、今後残業はしない、責任のある仕事はできないと言つて帰つた」という事件の経過だけを記載したものであつて、右の件について反省した態度がみられないので、西村課長はこれを受取らなかつた。すると申請人は、九月二九日になつて、九月六日の事件の経過を記載したものの後に、その件を反省し、残業に協力する、仕事には責任をもつ等の趣旨を記載した書面を提出したので、西村課長は、なお申請人の就業についての基本的な態度についての反省を求めつつも、一応その反省書を受取つたうえ、さらに西村課長と湊勤労課長が一〇月二日朝申請人を呼び、真実に反省しているのかどうか確めたところ、申請人は、「就業規則に違反したことはない。反省書は出すつもりはなかつたが、仕事をくれないので仕方なく出した。残業は労働者の権利だから好きなときにやればよい。給料が安いからその分だけ仕事をすればよい。」等と明言し、何ら反省の色を見せなかつた。

(リ) 被申請人会社は、九月一二日慣行に従い申請人の属する武蔵工場労働組合に申請人の件に関するそれまでの経過を話したところ、組合は独自の立場で調査していたが、被申請人会社が一〇月二日申請人と会つた後組合に対しその後の経過および申請人を処分せざるを得ない事情を説明すると、組合は一〇月三日申請人の処分はやむを得ないとの態度をとることを明らかにした。

(ヌ) そこで、被申請人会社は、一〇月四日就業規則五〇条一項四号(前出)、五一条一項六号(故意又は重大な過失により自己の権限外の行為をなし又は故なく業務に関する上長の指示に従わなかつたとき)に該当するものとして申請人に対し一四日間の出勤停止の懲戒処分を行つた。

5 (イ) 被申請人会社は、右出勤停止処分の申渡しの際、申請人に対し、出勤停止期間中就業の態度について反省すること、および右期間終了後出勤するときは就業規則第四九条第三号に基づき出勤停止処分に伴う始末書を提出するよう申渡しておいたので、阿部製造部長、西村課長、湊勤労課長は、一〇月一九日申請人が出勤してくるとすぐに申請人を呼んで反省の態度を確めたところ、申請人は「この前西村課長に出した反省書以上の反省はしていない。就業規則に違反したことは何もしていないから始末書は書かない。処分は不当で納得できない。」等と断言し、始末書の提出を拒否し、反抗的態度を改めなかつたので、翌日までによく考えて反省するよう申渡して申請人に退場を命じた。

(ロ) さらに、阿部部長が一〇月二〇日申請人を呼んだところ申請人は、「就業規則には違反していないので処分されたことを反省していないが、就労したいので始末書を書いてきた。」と言つて始末書を提出したが、その内容は単に「九月六日感情的になつて石橋主任に対し残業には協力できないと言つたが、西村課長から仕事を外され、また組合からも残業に協力して欲しいと言われたので態度を改めた。」というものであつた。そこで、更に問い質すと、申請人は、「就労したいので残業には協力するが残業は労働者の権利だからやるかどうかは労働者の自由だ。処分は不当なので反省していない。今後就業規則を遵守するとは言いたくない。」等と答え、全く反省の色が見られないので、よく考えるようにと言つて退場を命じたところ、申請人は動こうとしないので、やむなく警備員を呼んだら自分で立上つて退場した。

(ハ) 申請人の態度は一〇月二三日もやはり同様であつたので阿部部長は、就業規則五二条により懲戒処分決定まで休業を命ずる旨を告げたが、申請人は退去に応じないのでやむなく警備員を呼び、申請人を両脇からかかえて玄関まで連れ出した。

(ニ) 被申請人会社が右の経過を組合に通告したので、組合は一〇月二三日から一〇月二六日までの間申請人に対し説得を試みたが、申請人は、「被申請人会社に提出しようとした前述の始末書なら出すが、それ以上は書けない。」とこれを拒否したので説得できず、組合は、一〇月二七日被申請人会社に対して解雇もやむを得ないとの態度をとることを明らかにした。

(ホ) そこで、被申請人会社は、一〇月三〇日就業規則五一条一項一二号(前出)に該当するものとして申請人を懲戒解雇することとし、その旨を申請人に申渡した。

と述べた。(立証省略)

理由

申請の理由のうち、申請人が昭和三五年四月一日被申請人会社に雇用され、それ以来被申請人会社武蔵工場に勤務していたこと、被申請人会社が昭和四二年一〇月三〇日申請人に対し懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。また、被申請人会社の主張する解雇理由のうち、

1 申請人が被申請人会社武蔵工場製造部低周波製作課の課員らが使用する便所の個室内に落書をしたとの理由で、被申請人会社が昭和四〇年三月三一日申請人に対し五日間の出勤停止処分を行つたこと、

2 申請人が昭和四一年一二月八日午後四時三〇分頃就業時間中同僚に対し政治的活動について話したこと、そのことを理由に被申請人会社が昭和四二年一月一〇日申請人に対し譴責処分を行つたこと、

3 申請人が昭和四二年七月二一日午後五時から約二時間三〇分にわたつて私用外出する際、私用外出届に上長の承認印を自ら押捺したこと、そのことを理由に被申請人会社が同年七月二七日申請人に対し七日間の出勤停止処分を行つたこと、

4 解雇理由4の(イ)(ロ)(ホ)(ヌ)記載の事実および申請人が昭和四二年九月生産のゲルマニウムトランジスター2SB370の推定歩留算出にあたつて封止先行試作の歩留の検討をせず、推定歩留を七七%と算出したこと、同年九月六日午後四時頃の実績歩留が七三%であること、申請人が同年九月七日に推定歩留の算出をやり直したこと、申請人が同年九月一四日以降数回西村低周波製作課長に反省書と題する書面を提出したこと、西村課長が同年九月二九日申請人の反省書を受領したこと、

5 解雇理由5の(ハ)(ホ)記載の事実および昭和四二年一〇月一九日湊勤労課長に呼ばれ始末書の提出を求められた際申請人が就業規則違反の事実はないと主張し退場を命じられたこと、申請人が同年一〇月二〇日始末書を提出したこと、その際退場を命じられたこと、

についてはいずれも当事者間に争いがない。そこで、被申請人会社の主張する解雇理由のその余の点について検討するに、申請人本人尋問の結果(第二回)により真正な成立が認められる疎甲第三号証の一ないし五および疎甲第四号証の一、成立に争いのない疎乙第一、第四、第六、第七、第九、第一〇、第一二、第二〇号証、その形式および内容から真正に成立したものと認められる疎乙第八、第一五、第一九号証、その形式および内容から真正に成立したものと認められる疎乙第一八号証、同号証によりその文字の部分については田中秀幸が作成したものと認められる疎乙第五号証、証人石橋和の証言により真正な成立が認められる疎乙第一四号証、証人湊理の証言により真正な成立が認められる疎乙第一六号証、証人西村洋(第一、第二回)、石橋和、湊理の各証言、申請人本人尋問の結果(第一、第二回)を綜合すると、

1 昭和三九年一二月頃から被申請人会社武蔵工場内の便所個室内部にしばしば落書が行われるようになり、被申請人会社は、そのつどペンキで塗り消していたが、一向にやむ気配がないので、昭和四〇年一月末頃工場美化に関する通達を出し、全従業員に落書をすることのないよう注意し、また、各職場における上長からも従業員に対し工場美化の呼びかけを行つた。しかるに、申請人は、同年三月一七日朝同工場製造部低周波製作課特性管理係の男子従業員らが使用する男子便所の個室内において、たまたまその前日書かれた壁の落書を隠すため画鋲で張つておいたわら半紙に、政府自民党が戦争および軍備の計画を進めている旨および組合が臨時員の首切りを黙認している旨を十数行にわたつて落書した。そこで、被申請人会社は、申請人の右の所為が就業規則五〇条一項一二号(会社の施設又は構内において許可なく掲示貼紙し又は放送等を行つたとき)、一五号(その他前各号に準ずる程度の不都合な行為があつたとき)に該当するものとして、同年三月三一日申請人に対し五日間の出勤停止処分を行つた。

2 申請人は、昭和四一年一二月八日午後四時三〇分頃就業時間中低周波製作課特性管理係の同僚木村が作業しているとき、その隣りの席に坐り、自民党政権を攻撃したり衆議院解散を論じたり、更には共産党に投票するよう依頼したり、政治集会への参加を勧誘したり、政治運動資金のカンパを執拗に要請したりするので、右木村は、仕事を妨げられて迷惑し、翌日これを上長である石橋主任に訴えるに至つた。そこで、被申請人会社は、申請人の右の所為が就業規則五〇条一項四号(実働時間中許可なく職場を離れ又は甚だしく自己の職責を怠る等業務怠慢の行為があつたとき)、五号(正当な理由なく業務を阻害する様な行為があつたとき)に該当するものとして、昭和四二年一月一〇日申請人に対し譴責処分を行つた。

3 昭和四二年七月二一日午後四時から被申請人会社武蔵工場労働組合の定期大会が開催され、低周波製作課特性管理係の石橋主任は、評議員として組合定期大会に出席するため同日午後三時四五分頃その職場を離れたが、その当時同工場のトランジスター生産において規定の特性を有しない不良品が続出していたので、職場を離れるに先立つて、申請人を含む部下全員に対し残業して不良対策を講ずるよう命じておいた。ところが、申請人は、これを無視し、同人が測定すべきトランジスターの試作品が完成するまでに待時間があるから職場を離れ外出しても差支えないと独断し、組合定期大会を傍聴しようと考えた。同工場においては、就業時間中に私用外出する際は私用外出届に所定事項を記入して上長の許可印を受けたうえこれを届出ることになつていたが、申請人は、この手続を軽視して、上長の許可は形式的なものであると思い込み、同日午後五時頃、折から申請人の直接の上長である石橋主任が前記の事情で職場に居らず、また西村低周波製作課長も見当らなかつたので、同僚に断つて自ら私用外出届の上長許可印欄に石橋主任の職印を押捺して外出し、組合定期大会を傍聴したうえ大会終了後同日午後七時三〇分頃職場に戻つた。もつとも、私用外出に際しての上長の許可については、当時同年五月頃から同工場においてトランジスターの製品不良が増加し、従業員の残業時間が増加している状態であつたため、残業時間中の従業員が寮に夕食をとりに帰るような場合には特段の制限もなしに外出が許されていたが、上長の許可印を部下の従業員が自ら押捺するようなことは許されていなかつた。そこで、被申請人会社は、申請人の右の所為が就業規則五〇条一項四号(実働時間中許可なく職場を離れ又は甚だしく自己の職責を怠る等業務怠慢の行為があつたとき)、六号(勤休、外出その他に関して手続や届出を詐り又は怠つたとき)に該当するとして、同年七月二七日申請人に対し七日間の出勤停止処分を行つた。

4 (イ) 申請人が低周波製作課特性管理係において担当していた仕事のうちにトランジスターの選別後推定歩留の算出という作業があり、それはトランジスター製造の最終の選別工程を経て得られるべき良品の数と当初の着工数との割合(推定値)を求めるものであつて、その目的とするところはトランジスターの生産にはその特性の不安定からくる不良品の発生のおそれが常にあるため、生産に先立つて予め完成する良品の着工数に対する割合を推定し、それに基づいて必要な着工数を計算して予算を組み適正な生産計画を立てるところにある。申請人が担当していたトランジスター2SB370(当時月産三五万本)のごとく月産一〇万本以上のものについては毎週一回その生産月の推定歩留を算出することになつており、もしこの推定歩留が予算を組んだ段階で基礎とした推定歩留を下まわるような事態になれば、生産に支障が生ずるのであるから、何らかの対策を講じなければならない。右選別後推定歩留の算出方法は、製造工程のうち主要な三段階(焼付工程、封止工程、選別工程)における歩留の数値すなわち焼付先行試作の歩留、封止先行試作の歩留、選別後実績歩留(先行試作の歩留とは、製造工程の中間段階で一定数の未完成品を抜取り、これを特別に短期間で試作品として完成したうえ、その電気的特性を検査して着工数に対する良品の割合を求めるものをいう。)を検討して行うのであるが、右の三段階の歩留数値の算出については、それぞれ担当の従業員がこれを行い、その結果をグラフに打点するという仕組みになつているので、選別後推定歩留の算出という作業は、単にグラフに示された三段階の歩留の数値を検討することだけであり、他に何らの作業を伴うものではない。

(ロ) 申請人は、昭和三九年二月に低周波製作課特性管理係となつてから引つづきトランジスターの特性管理の仕事に携つてきたものであり、前記の選別後推定歩留の算出方法は無論のことその仕事の重要性についても十二分に知つていたものであるところ昭和四二年九月一日朝特性管理係における申請人の直接の上長である石橋主任から同年九月生産のトランジスター2SB370について最終的な歩留の推定表を作成し、九月四日までに提出するよう指示された(一生産月は前月二一日から当月二〇日までであるので、最終的な歩留の推定は約一五日間の製造日数を見込んで当月五日までに行うようになつている。)のに対し、その算出にあたつて、封止先行試作の歩留および選別後実績歩留についての検討を怠り、単に焼付先行試作の歩留にのみ基づいて推定歩留を算出して九月四日午後四時過ぎ頃歩留の推定表を提出した。申請人の右推定表によれば、選別後推定歩留は七七%であつたが、選別後実績歩留の方は、同年八月末頃から急に低下し、時には七三%まで下つてきていたので、このまま従来どおりの生産を続けていたのでは生産目標を達成することができない虞れがあつた。

(ハ) 石橋主任は、九月六日午後になつてこの事態を知り、同日午後四時三〇分頃申請人に対し右推定歩留の算出方法等について詳細に問い質し、申請人の前記のような怠慢を知つてこれを責め、更に、封止先行試作の歩留および選別後実績歩留を検討して推定歩留の算出をやり直すよう命じたところ、申請人が既に終業時刻に近いことから翌日やる旨の返事をしたので、石橋主任と申請人の間で口論となり、石橋主任が残業してでも計算のやり直しをせよと命ずるのに対し、申請人は、「残業はやらない。」「こんなに残業の多い仕事では責任が持てない。」「そんな仕事をやるほど給料は貰つていない。」「残業は労働者のサービスだから、やるかやらないかは労働者が自分できめるのだ。」等と反抗的態度を示して残業に応じない旨を言い張つたあげく、同日午後五時三〇分頃「友達と約束があるからきようはもうこれ以上仕事はやれないから帰ります。」と言い出した。そこで石橋主任も感情的になつて引き止めようとすると、申請人は、「今後残業は一切しない。」「鎖につながれてもきようは帰る。」等と怒鳴つて、同日午後五時五〇分頃残業せずにそのまま帰つてしまつたが申請人は翌九月七日になつて同僚の小川の援助を受けて所定の方法によつて推定歩留の算出を行い、同日は午後九時三〇分頃まで残業して推定歩留を七四%と算出し、石橋主任に報告した。

(ニ) 右の如く申請人は一日おくれて、残業までして、正式な方法で推定歩留の算出を行い、形式的には一応石橋主任の要求どおり推定歩留を算出したことにはなつたが、申請人はその後右事件につき石橋主任に何らの挨拶もしなかつたので右事件は同主任から西村低周波製作課長に報告され、同課長は九月一一日申請人を呼び、事情を尋ねたところ、申請人は、「自分にはプライベートなこともあつて残業はできない。やる時はやるが今はできない。」「残業は自分が必要だと思つた時に必要に応じてやる。」等と言い、いかにも西村課長に対し議論をふきかけるという態度であり、さらに、「今後この仕事はできない。」とまで言い出したので、西村課長は、申請人に対し仕事はやらなくてもよいから考え方の違いを反省するようにと命じ、かつ、反省したり反省の意思を示す反省書を提出するよう申し渡し、それ以後申請人に仕事を与えなかつた。

(ホ) 申請人は、その後仕事を与えられないので、自席で本を読んだり雑務の手伝いをしたりしていたが、九月一三日になつて西村課長に仕事をくれるよう要求したところ西村課長は、「仕事がしたければ反省書を提出せよ。」と命じたので申請人は、九月一四日社内用便箋に反省書と題し、「九月六日の主任との口論については反省している。今後は残業も必要に応じてやる。」という趣旨を乱雑に書いた書面を提出してきたので、西村課長がその真意を質すと、残業は自分が判断して自分が必要と思えばやるという考え方であつたので、西村課長は、「残業は主任に命じられたらやるものだ。これでは反省していることにならない。」と言つて、もつときちんと書いてくるよう命じ、その反省書を申請人に返した。その後申請人は九月二七日頃までの間数回右と同趣旨の反省書を西村課長に提出して仕事をくれるよう求めたが、西村課長は、これら反省書の文章のうちに「残業は必要に応じてやるものだ。」「組合に言われたから残業に協力する。」「夜遅くまで働いている労働者に同情して残業する。」等の文言があることから、申請人の残業に対する基本的な態度が上長の命令に従つて残業をするという会社側の基本的立場と相容れないものであると判断し、いずれの反省書も受理せず、「就業の基本的態度を直せ。」と申請人に強く反省を求め、仕事は与えないままにしておいた。

(ヘ) 申請人は、九月二九日になつて新たな反省書を提出した。それには、九月六日の事件の経過が簡単に記載され、その後に「私はここにその事を反省致します。これからも残業に協力し、仕事に責任を持ち誠意を尽して行きたいと思います。」との謝罪文が記載されていたが、西村課長が申請人の残業に対する考え方を尋ねたところ、それは従前どおり「残業は命令されてやるものではなく個人の意思でやる。」というものであつた。しかしながら、西村課長は、その点についてなお申請人に反省を求めつつも、一応右反省書を受理し、申請人の処置について被申請人会社総務部勤労課に相談した。そこで、湊勤労課長が一〇月二日朝申請人を呼んで反省の意思を確かめたところ、申請人は、「残業は労働者の権利だから必要なときにやればよい。」「私は石橋主任を信用していない。」「就業規則には反していない。」「反省書を出すつもりはないが仕事をくれないので反省書を出した。」等と言い、口論のあげく「湊課長は岡崎の首を切つた悪い奴だ。」等と悪口雑言を浴せたりするのでやむなく申請人を帰した。

(ト) 右のような事情であるので、被申請人会社は、申請人に対し懲戒処分を行うのもやむを得ないとの結論に達し、一〇月二日申請人の属する武蔵工場労働組合に対し申請人の件に関するそれまでの経過と申請人を処分せざるを得ない旨を説明したところ、組合は、「更に独自の立場から事情を調べ、また本人を説得したい。」と猶予を求めていたが、一〇月三日「組合からの説得も効果がないので処分もやむを得ない。」旨の申入があつた。そこで、被申請人会社は申請人の九月六日の所為が就業規則五〇条一項四号(実働時間中許可なく職場を離れ又は甚だしく自己の職責を怠る等業務怠慢の行為があつたとき)、五一条一項六号(故意又は重大な過失により自己の権限外の行為をなし又は故なく業務に関する上長の指示に従わなかつたとき)に該当するものとして、申請人に対し一四日間の出勤停止処分を行うこととし、同年一〇月四日申請人にその旨を言渡した。

5 (イ) 被申請人会社は、申請人に右懲戒処分を告知する際に、出勤停止期間中従来からの就業態度等について十分反省するよう、また出勤停止期間満了後出勤するときには始末書を提出するよう(就業規則四九条三号によれば、出勤停止処分を行う場合には始末書の提出を求めることになつている。)申し渡しておいたので、申請人が右出勤停止期間満了後一〇月一九日出勤して来ると、阿部製造部長、西村課長、湊課長、労務係主任の四名が申請人を呼んで、反省の様子を確かめ始末書の提出を求めることにしたが、申請人は、「西村課長に出した反省書以上には書けない。」「就業規則に違反しているとは思つていないから出さない。」「処分は不当であり認められない。」等と言い、出勤停止処分を非難する態度をとるので、翌日までに反省するよう申し渡したうえ、退場を命じた(就業規則二一条によれば風紀秩序を紊し又はそれに準ずるときは事業所から退場させることができる。)。すると、申請人は、「工場長に会わせなければ退場しない。」等と言つて、ソフアにそり返つたまま動こうとしないので、警備員二名を呼んだところ自分で立上り警備員に付添われて工場正門から退場した。

(ロ) 前記阿部部長ら四名は、同年一〇月二〇日再び申請人を呼んだところ、申請人は、「就業規則に違反したと思わないし、処分に対しては反省していないが、就労したいので始末書を書いてきた。」と言い、足を組んで坐つたまま始末書をテーブルの上に放り投げるようにして提出した。右始末書の内容は、九月六日の事件を簡単に記した文章の後に「数日して西村課長より仕事を外され、また組合からも残業に協力して欲しいと言われて態度を改めました。今後残業に協力し、誠意をもつて仕事をするように努力致します。」と記載されているが、申請人が就業規則に違反したことを認め、爾後上長の指示に従つて仕事をするという趣旨の基本的な反省の態度を示す文章がないので、阿部部長は、これを受取らず申請人に返し、更に反省の態度を求めると、申請人は、「今回の処分は不当であると考えている。」と言い出したので、前日と同じ議論の繰返しとなるのを避け、申請人に退場を命じたが応じないので、警備員を呼び、立上らせようとすると、申請人は、「さわるな。」と言つて自ら立上り、警備員に付添われて工場正門を出て行つた。

(ハ) 前記阿部部長ら四名は、同年一〇月二三日また申請人を呼んでその態度を質したが、申請人の言動は前記一〇月一九日、二〇日の場合と全く変らぬばかりか、「始末書は書き直す気はないし、裁判になつても争う。自分には組織がついている。首を切るなら切つてもらいたい。日教組の友人に話をしたら、そんな会社には全国に指令を出して来年度の卒業生は一名も廻さないようにしてやると言つていた。」等と挑発的な言葉を吐くので、阿部部長らももはや申請人の説得を断念し、申請人に対し懲戒処分決定まで休業を命じ(就業規則五二条によれば、懲戒解雇事由に該当する行為のあつた場合において職場秩序に悪影響を与える虞れありと思われる場合は懲戒処分の決定に至る間休業させることができる。)、連絡があるまで家で待機するよう申し渡したところ、申請人がこれに応じないので、やむなく警備員二名を呼び、申請人を両脇からかかえて立上らせ、工場正門から退場させた。

(ニ) 被申請人会社は、同年一〇月二三日労働組合に対し申請人の前記のような言動に対して何らかの処分を考慮せざるを得ない旨申入れたところ、組合は、「申請人を説得するから処分を待つて欲しい。」と言うので、被申請人会社もこれを了承していたが、申請人は、組合の熱心な説得にも応ぜず、「一〇月二〇日に提出しようとした始末書しか書けない。」旨を固執したため、組合も一〇月二七日に至り被申請人会社に対し「申請人を処分するのもやむを得ない。」との回答をした。そこで被申請人会社は、前記のごとく既に四回にわたり申請人に懲戒処分を行つたことおよび申請人がなお反抗的、挑発的な態度を固持していること等に鑑みて、今後従業員としての雇用関係を継続することは不可能であると結論し、就業規則五一条一項一二号(しばしば懲戒訓戒を受けたにもかかわらずなお悔悟の見込がないとき)に基づいて申請人を懲戒解雇することにし、同年一〇月三〇日朝申請人に対しその旨を申し渡した。

との事実を一応認定することができる。右認定に反する疎甲第五、第六号証の記載の一部、証人松木守、西沢友光(第二回)の各証言、申請人本人尋問の結果(第一、第二回)の一部はこれを信用することができない。

右認定事実によれば、結局、申請人は、過去において三回就業規則違反の所為があり、そのつど懲戒処分を受けていたものであるところ、昭和四二年九月六日上長の命令に背いて当日の残業を拒否したので、これに対し二週間の出勤停止処分を課されたが、右出勤停止期間満了後もなお右の所為について反省の態度を見せず、就業規則により提出を義務づけられた所定の始末書(その内容は、申請人が上長の残業命令に背いて残業を拒否したという就業規則違反の事実を認め、それについて陳謝の意思を表明するものでなければならない。)を提出しないばかりか、「残業は労働者の権利であるから自分が必要と認める時にやればよい。就業規則違反の行為をしたことはないから処分は不当である。」という反抗的態度を固執していたものである。もつとも、申請人は、出勤停止期間満了後一〇月二〇日になつて始末書を提出したが、その記載自体も必ずしも前記の趣旨に合致するものとは言えず、申請人の始末書提出の際の言動を併せ考えると、就業規則違反の行為を反省しているとは認められない。ところで申請人は終始「残業は労働者の権利である。」との意見を固執して被申請人会社に対し反抗的態度に出たのであり、一部の学説においても、使用者が労働組合との間で労働者に対し時間外労働(残業)を課しうる旨の労働協約および労働基準法三六条所定の協定を締結し、かつ同旨の就業規則を制定した場合においても、使用者は、単に刑事罰を受けることなく労働者に対し合法的に残業の申込みをなしうるにとどまり、労働者は任意にその申込みを受諾し又は拒むことができると論じられているが、当裁判所は、右見解には賛成しがたく、むしろ、労働組合が労働協約によりその組合の傘下にある労働者が残業に従事することを許容した以上、その協約は個々の労働者をも拘束し、労働者自身が残業に従事することを受諾したのと同一の効果を生ずる見解に従うものであるところ、成立に争のない疎甲第四号証、同第一一号証の一、二、証人松木守、同湊理の証言によると、当時被申請人会社と、日立製作所労働組合連合会、日立製作所武蔵工場労働組合を含む右連合会傘下の単位労働組合とは、労働協約を以つて残業に関する事項を結び、それに基づく単位組合との協定により原則として、会社は従業員に対し、一ケ月四〇時間を超えない限度において、実働時間を延長して、残業を命じ得る(例外として、右制限を超えることもできる場合がある)旨を定め、右単位組合員たる申請人その他の従業員は長期間右定めに従つて、残業に従事してきたことが一応認めることができるから、正当の事由のない限り申請人は前記残業を拒否し得ないものであるところ、前記認定の事情に照せば残業拒否の正当の理由は存しない。また今後においてもいわれなく残業を拒否できる筋合ではない。もつとも、申請人が右の学説と同旨の見解をとるとしても、それが単に内心における信条の自由又は言論の自由として許される範囲においては、無論これを許容すべきであるが、それを超えて現実の問題として特定の企業の内部にあつてその実現を図るにあつては、労働法上争議行為として許容される方法によるのは別として、申請人一個人として上長の残業命令に故なく背いてこれを拒否する手段に出ることは到底許されるものではないから、この点に関する申請人の前記言動は、被申請人会社に対し徒らに反抗的な態度を誇示するものと評価されても仕方がない。のみならず、前示認定によれば、申請人は、上長が残業命令を発するきつかけとなつた推定歩留の算出の際の申請人自身の怠慢についても何ら反省の態度が認められないのであるから、申請人の情状は一層悪いと言わなければならないし、また前記認定の事実によれば被申請人がなした譴責並びに出勤停止等の懲戒処分はいずれも申請人主張の就業規則違反の行為に対する妥当な処分行為と認めることができる。従つて、申請人が一四日間の出勤停止期間満了後に被申請人会社においてとつた言動は、申請人が爾後上長の命令に服して業務に従事するかどうかについて危惧を抱かせるに十分なほど反抗的なものであつたと判断されるから、申請人には、被申請人の主張する就業規則に定める懲戒解雇事由に該当する行為の存することが一応認めることができる。

ところで、申請人は、「申請人の残業拒否という一個の事由に対して出勤停止処分、懲戒解雇処分のほか申請人に全く仕事を与えないという事実上の懲戒処分まで加えられているので、一個の事由につき重複して懲戒処分を行つたことになる。」あるいは「使用者は労働者に対し残業を命令する権利はないのだから、申請人の残業拒否に対して懲戒処分を行うのは違法である。」との理由で本件懲戒解雇の効力を争うので、これを検討するに、後者の主張についての判断は前段説示のとおりであり、前者については、前示認定によれば、申請人に対して行われた一四日間の出勤停止処分は、申請人が上長の残業命令に背いてこれを拒否したことに対して行われたものであり、懲戒解雇は、申請人が右出勤停止処分を受けた後所定の始末書を提出しないばかりか徒らに反抗的な態度を誇示して、自己の就業規則違反の所為について反省しなかつたことと申請人のそれまでの懲戒歴とを考え併せて行われたものであるから、右出勤停止処分と懲戒解雇とは一応別個の事由について行われたものと考えるべきであり、申請人の主張は採用できないし、また、申請人に対し仕事を与えないという事実上の懲戒処分がなされたとの主張については、前示認定によれば、申請人は昭和四二年九月一一日から本件懲戒解雇に至るまで全く仕事を与えられなかつたものであるが、仮に、申請人の賃金が全部あるいはその相当部分が歩合給制に基づくなど、仕事を与えられないことが直ちに賃金の減少を来す事情にあるため、かかる措置が実質上懲戒処分と看做しうるような場合であればともかく、そのような主張も疎明もない本件においてはこれを懲戒処分と認めることはできないから、これと本件懲戒解雇とが重複する懲戒処分にあたるかどうかを検討する余地もない。

また、申請人は、「被申請人会社は、申請人の職場における組合活動を嫌悪して本件懲戒解雇に及んだものである。」として本件懲戒解雇は不当労働行為に該当し、無効であると主張をするけれども、申請人本人尋問の結果(第一、第二回)により真正な成立を認めうる疎甲第五、第六号証、成立に争いのない疎甲第七、第一五号証、証人西沢友光の証言(第二回)により真正な成立を認めうる疎甲第一四号証の一、二、疎甲第二三、第二四号証、証人西沢友光の証言(第一、第二回)、申請人本人尋問の結果(第一、第二回)によれば、所論のごとく、申請人が被申請人会社武蔵工場労働組合において評議員あるいは代議員として活動していたこと、申請人が同工場において以前解雇された申請外向坂弘時、遠藤よし子、岡崎義和の三名を守る会に参加して活動し、右向坂および遠藤の地位保全仮処分事件において証人として出廷し、被申請人会社に不利な証言をしたことを一応認めることができるが、被申請人会社がこれを嫌悪して他の事由に藉口して申請人を解雇したとの主張は、これを疎明するに足る資料がないばかりか、むしろ前示認定の申請人が懲戒解雇されるに至る経緯に鑑みれば、前記のごとく申請人には懲戒解雇に処せられてもやむを得ない程度の就業規則違反の所為があつたと認められることから、申請人会社は申請人を組合活動家であるが故に解雇したのではないと判断できる。

そうすると、被申請人会社が申請人の所為を就業規則に定める懲戒解雇事由(しばしば懲戒訓戒を受けたにも拘らずなお悔悟の見込がないとき)に該当するとして、申請人との雇用契約を継続することが不可能であると判断して本件解雇におよんだのは正当な処分であつて、何ら違法な点はない。従つて、その余の申請人の主張事実について判断するまでもなく申請人の本件仮処分申請は理由がないこととなるので、これを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

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